豊橋市魚町能楽保存会 会長
高坂 泰弘
この写真のちっぽけな神社、すべてはここから始まります。豊橋市の中心部・魚町に在るこの神社は「安海熊野社」と言い、その創建は平安時代に遡ります。その名の通り「安らかな海を祈祷する」ことから、戦国の時代に今川義元の命により、周辺の豊かな漁場からの売買一切をかつては広大な敷地を有したこの神社の境内のみに限定致しました。これにより巨大な魚市に成長し多くの御用商人が生まれ、町民でありながら城中へ出入りするようになりました。
一方、吉田藩は江戸幕府において歴代の老中等の重要な役職を務めたことから、全国の藩より盆暮れの寄贈を受け、幕府の式楽である能楽にちなんだ優秀な能面・装束も含まれました。もとより能の盛んな三河にあって、魚町商人も交えた演能の歴史がこうして出来上がりました。
この関係により、明治維新で松平家から能関係の全てを有償にて譲り受けた魚町では、専用の能舞台を造り、1945年まで町民による演能が続きました。しかし、戦況悪化により日本各都市への米軍の空襲が激しさを増す中、魚町町民総出で堅牢な倉へ能関係の一切をしまい、温度上昇を防ぐために倉内には巨大な水桶を設置し、窓すべてに目張りを施し備えました。町民の家屋すべて焼失したものの倉だけは残り、今に至ります。
数百年の時空を超えた圧倒的な美しさを誇る「増女」と女の性の激しい「般若」との緊張感溢れる関係性の軋みが今井さんの響きと重なるスリルを期待しております。
——— あいちトリエンナーレ2016初演時プログラムノートより
魚町能楽保存会所蔵 愛知県指定文化財
「増女」出目是閑 打 桃山~江戸時代初期
裏面に焼印「天下一是閑」あり
魚町能楽保存会所蔵 愛知県指定文化財
「般若」井関河内 打 桃山~江戸時代初期
裏面に焼印「天下一河内」般若坊創作の写